一般健康診断でクレアチニン測定が義務化されることについて【専門医が解説】
- 臼井亮介

- 6月14日
- 読了時間: 10分
更新日:6月30日
こんにちは。株式会社レノプロテクト代表の臼井亮介(日本腎臓学会専門医・指導医)です。
労働安全衛生規則が改正され、2027年4月1日から一般健康診断(雇入時、定期、特定業務従事者、海外派遣労働者)の検査項目に「血清クレアチニン」が追加されます。
●労働安全衛生規則等の一部を改正する省令の施行等について
腎臓内科医としても、一国民としても、大変喜ばしい規則改正である一方、実は職場レベルだけでなく、地域の内科診療体制にまで大きな混乱を生じかねないほどのインパクトを秘めています。
運用開始直後はそれほど変化を感じられないかもしれません。しかし、企業も地域診療体制も無策のままでいると、次第に深刻な社会問題にまで発展していく可能性がある規則改正なのです。
このコラムは、特に企業の人事労務管理者や産業医の皆様に向けた内容となっております。クレアチニン測定の義務化によるメリットと、今後懸念される具体的な混乱・対策について解説していきます。担当者はあらかじめ現場でのロールプレイ(シミュレーション)をしておくことを強くお勧めします。
*このコラムは、今後の動向に合わせて、適宜内容を更新していきます。
職場環境と慢性腎臓病(CKD)の密接な関係
そもそも、なぜ「働く世代」の健康診断で腎機能検査が必要なのでしょうか。
慢性腎臓病(CKD)は、その発症や悪化に日々の生活習慣が大きく関わる「生活習慣病」の一つです。働く世代にとって、日常生活の中で仕事内容や職場環境が占める割合は非常に高く、国内外の多数の疫学研究において、労働環境や職務ストレスが、腎機能低下の指標であるeGFR(推算糸球体濾過量)の低下速度を加速させることが報告されています。
特に影響が大きいのが「脱水」と「不摂生で不安定な生活リズム」です。
慢性的な脱水リスク
高温多湿な建設現場や工場だけでなく、自由なタイミングでトイレに行きにくいことから水分補給を控えがちな運転手、接客業、医療・介護の現場などが該当します。脱水は腎血流を低下させ、腎臓に直接的なダメージを与えます。
不摂生で不安定な生活リズム
交代制勤務や深夜労働による睡眠不足、デスクワークに伴う長時間の座りっぱなし(身体活動不足)は、高血圧症や糖尿病、肥満症などを介してCKDのリスクを跳ね上げます。
つまり、CKDは「あなた自身の行動が原因となる生活習慣病」というだけでなく、「働く環境が原因となる職業病」の一面を強く持っているのです。
なぜこれまでクレアチニンが義務化されなかったのか
CKD患者数は世界的に増加傾向にあり、2024年に日本腎臓学会が報告した国内患者数は約2,000万人(成人の約5人に1人が該当)に上ります。そのリスクが長年叫ばれてきたにもかかわらず、なぜ健診の必須項目に入ってこなかったのでしょうか。理由は大きく2つあります。
尿検査の限界と病態の変化
1つは、従来の尿検査(尿蛋白)によって、ある程度の腎臓病はスクリーニングできると考えられていたためです。 加えて、現在の評価指標である「eGFR」が登場したのが2005年頃だったため、それ以前は各医師の主観でおおよその腎機能を評価していた時代でした。さらに20年以上前は、糸球体腎炎や典型的な糖尿病性腎症など、腎機能悪化とともに尿蛋白が多く見られる腎臓病の割合が多かったため、健康診断における尿検査の重要性は現在よりも高かったと言えます。
しかし近年は、高齢化や高血圧症を原因とする「腎硬化症」が急増しています。この病態の多くは初期に尿蛋白が出にくいため、尿検査だけでは腎障害を見落とす(スクリーニングとして機能しない)ケースが増えていたのです。
公衆衛生上の「費用対効果」
もう1つは、健診項目の選定においては、
『費用対効果』や『早期介入による治療効果』が厳しく評価されるためです。腎臓病は進行が緩やかなため、労働世代における心筋梗塞や脳卒中のような「急病」に比べて優先順位が低く見積もられてきました。また、かつては早期発見しても有効な治療選択肢が限られていた歴史背景もあります。しかし近年の画期的な腎保護薬の登場により、早期発見のコストメリットが証明され、今回の法改正へと繋がりました。
規制改正に至った背景
では、なぜ今になって国は動いたのでしょうか。それは、日本の生産年齢人口の急減と、CKD診療に係る医療費(透析費用を含む)による医療経済の圧迫が限界を迎えたからです。
CKDが進行して末期腎不全となり、人工透析が必要になると、週3回・各4時間の拘束が発生します。これは労働者にとってはキャリアの断絶、企業にとっては貴重な労働力の喪失に直結する重大な問題です。
さらに、日本の国民医療費において、約1兆5千億円規模の莫大な透析関連費用はほぼ全額公費で賄われており、腎臓病の水際対策は国を挙げた最重要課題となりました(がん治療全体の国民医療費が4〜5兆円規模であることと比較すると、透析単体で1.5兆円という数字の異常な重みが分かります)。
一方、予防医療に十分な税金を投入する余裕がない日本において、自由診療である「健康診断」に安価なクレアチニン検査を組み込み、事業主や健康保険組合の負担で実施させることは、国にとっても極めて効率的な「隠れ腎臓病」の炙り出し戦略なのです。
義務化がもたらす「地域医療と職場の混乱」
すでに自主的にクレアチニン測定を導入している企業も多数ありますが、これが全国一斉に「義務化」されるとなると、現場では以下のような混乱が生じます。
異常値(要精密検査)の爆発的な増加
検査対象者が一気に広がるため、これまで見過ごされていたCKD患者が一斉に顕在化します。
紹介先(専門医療機関)のパンク
「要精密検査」となった労働者が増えても、専門医数が極めて少ない腎臓内科の予約は取り難く、地域の「受診難民」が発生します。
会社側の報告義務の重圧
会社には「社員の腎機能を把握し、適切に労働基準監督署等へ報告・管理する義務」が課されます。人事労務や産業保健スタッフの業務負担は少なくありません。
考えすぎでは?と思われるかもしれませんが、CKDの患者認識が進んでいないことは腎臓専門医からもたびたび報告されている事実です。株式会社レノプロテクトの腎ドックでの病識に関する調査では、腎ドックを受けた550名中、eGFR60未満の153名のうち「腎臓病で通院中」または「腎臓病の既往あり」と回答した方はわずか10名(6.5%)でした。つまり、2027年4月以降、「自分がCKD診断基準に該当している」と認識する国民が1,000万人近く一気に表出することになります。
ステージG3という「無視できない軽症CKD」のリアル
特に現場で問題となるのが、eGFRが45以上60未満に該当する「ステージG3a」と呼ばれる軽症・中等症の患者層です。
これまでステージG3aの労働者は、診断基準に該当しているにもかかわらず、健診総合判定で「経過観察」程度で片付けられ、事実上スルーされてきました。また、ほとんどのCKDには自覚症状がないため、患者自身も「お酒を控えたり運動したりすれば治るだろう」と勘違いしています。
ここで専門医として強調しておきたいのは、以下の2つの事実です。
一度失われた腎機能は、生活習慣の改善努力によって回復することはない
腎機能は加齢に伴って緩やかに低下していく
つまり、腎臓ケアの現実的な目標は「低下のスピードを加齢変化以内に収めること(最大努力で現状維持)」なのです。
このことから、今、ステージG3aを「このぐらいなら緊急性はない」とスルーしていても、将来的には無視できなくなる時期が必ずやってきます。規則改正後はその判断の一端を産業医が担うことになり、会社としても、このステージG3aの社員を「就業配慮や受診勧奨が必要な対象」として真剣に向き合わざるを得なくなります。
現実的にはステージG3aで就業配慮されることはないと思います。だからといって気楽に考えて、会社としては経過観察としていると、後にステージが進み、病院に受診したとき、「今はじめて認識したみたいですが、5年前からCKDですよ。健診結果は見てなかった?産業医からは言われてなかった?」となり、トラブルに発展するケースが頻発する懸念があります。
メリットとしての認知度向上と、KPIとしての腎機能
一方で、この規制改正には大きなメリットもあります(むしろ、こちらが圧倒的に大きいです)。
最大のメリットは、(特に働く世代における)「CKDの認知度が確実に上がること」です。就業規則や労務管理に絡んでくることで、企業も個人も軽視できなくなります。自分が当事者であると気づくことで早期の治療介入に繋がり、将来の透析移行を食い止めることが期待できます。
また、企業が「健康経営」を進める上で、社員の腎機能(eGFRの維持率)は非常に優れたKPI(重要業績評価指標)になり得ます。なぜなら、腎機能は日頃の血圧管理、血糖管理、そして適切な労働環境(脱水予防や休息)がすべて適切に機能することで初めて維持できる「健康の総合通信簿」だからです。
産業医の対応と「シスタチンC問題」に潜む企業の雇用・労働リスク
職場でCKD該当者が出た場合、産業医には適切な就業判定と保健指導が求められますが(保健指導は事業者の努力義務)、ここに臨床上、そして労務上の大きな障壁が立ちはだかります。それが「シスタチンC測定」に関する問題です。
筋肉量が多い若年者層では、腎機能が正常であってもクレアチニン値が高く(eGFRが低く)出がちです。そのため、より正確な腎機能を評価するために筋肉量の影響を受けない「シスタチンC」の測定が国際的に推奨されていますが、日本では保険システム(査定問題)の遅れから、測定を躊躇する、もしくは拒絶する医師が少なくありません。
この「シスタチンCを測ってもらえない問題」は、以下のような重大な二次的リスクを生む可能性があります。
企業の不必要な「疾病背負い」
シスタチンCさえ測定すれば「CKDの可能性は低い」と言え、企業として特別配慮が不要となるケースでも、測定を拒否されることで、会社側は「CKDの社員」として扱わざるを得なくなります。これに伴い、過剰な配慮や雇用管理負担を抱え続けるリスクがあります。CKDは治りませんから、いったん対象者となった当該社員は退職するまで特別配慮が必要となります。
労働者の生涯にわたる不利益
一部の医療機関が、過剰医療となるリスクを顧みず、早々に腎保護薬を開始して患者の囲い込みに走る懸念もあります。これ自体は決して誤りとは言えませんが、一方、一度薬が開始されればCKDの病名が確定され、その人は生涯にわたりCKD患者として扱われます。これにより、将来の再雇用や転職において不利益を被るリスクだけでなく、**「生命保険の加入拒絶」や「掛け金の上昇」や「住宅ローンの契約拒否」**といった、個人の人生設計を揺るがすリスクに直結する可能性があります。今後マイナンバーカードによって病名や処方歴が共有される流れですから、人によってはなかなか深刻です。
産業医や企業側は、こうしたリスクを回避するために、紹介状の書き方を工夫する、提携医療機関を予めセッティングしておく、あるいは自費もしくは会社負担でのシスタチンC測定をあらかじめ想定しておくなどの対応策を考慮しておく必要があります。
日本の成人の5人に1人がCKDに該当しますが、株式会社レノプロテクトの腎ドックでは受診者平均年齢約58歳で「3.5人に1人」がCKD診断基準に該当しています。社員数の少ない会社でもそれなりに、多数の従業員を抱える企業では当然ながら該当者が多数検出されてきます。つまり、今後は産業医の仕事量も格段に増える可能性がありますので、今から対応方法につき考えておくことが極めて重要です。
まとめ
2027年4月のクレアチニン測定義務化は、日本の労働衛生における歴史的な転換点です。初期の混乱や労務リスクが予想されますが、正しくリスクを理解し、医療機関との連携体制を今から構築しておくことで、社員のキャリアと企業の未来を守る大きな一歩へと変えることができるはずです。
企業や健保組合にとって健康診断の実施は、これまで「安くないコスト」と見られてきた向きもあると思います。しかし今回の規則改正により、すべての企業は健康経営の確かなKPIを得ることとなります。ぜひ前向きに取り扱い、企業価値の向上につなげていただくことを期待しております。
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